依頼の方法
実現したい何かがあって、目的ではなく、方法を依頼する
そういうケースって多々あると思うけど、依頼人が思って、示した方法では実現できないか、場合によってはもっと良い方法がある時って、なかなかに悩ましい。
実現できないかことが分かっていて、代替案が見いだせていない時という場合は、なおさら厄介だったりする。
依頼の内容のその先にあるものを十分にわかってる場合とか、課題発見から解決まで一緒に考えて合意を取り付けられるなら、達成した時にその気持ちを共有もできるし、みんなが笑顔で居られる気がする。
現実はなかなかそうもいかないんだけど、なんでそうなんだろう?(´・_・)
会話の終端がわからないことがある
ただしくは、会話ではなくメールによる問い合わせと回答の終わりが、イマイチわからないケースがある。
もちろん、いつも分からないというわけではないし、どちらかというと多くの場合において、特段意識するまでもなく自然にできていると思っている。
直接顔を合わせての会話ならば、別の話題に移ったりしたタイミングで、一つの話の終わりがわかる。
当然、その認識もその場で共有されているから成り立つものだと思う。
これが電話だと表情が直接見えないので、声のトーンとわずかな「間」でしか捉えようがないが、メールだとさらに難しく、リアルタイムでさえ無い。
質問や問い合わせに対し、回答をしたところで、それで納得したのかどうか、依頼事項であれば対応が十分だったのかどうなのか、時々返事の無い人がいる。
そういう人に遭遇すると、戸惑うこともあるけど、どちらかというと面倒くさいので、できればあまり直接的なやり取りをしないでいたくなる。
ただ、なぜそういう人が存在するのか考えると、自分が気にならないというか、逆の立場で問い合わせや質問を受けたり、あるいは依頼を受ける側だったことがないということなのだろうか?
なんてことを考えたが、一般的に社会人になるまでの間に経験するはずなんだけど、経験してきているのにそうなってしまったと考える方が自然だと思う。
少なからず、「返事をしなさい」と言われる経験はしているはずなんだが、今は何らかの理由でそれをしないで済ませているのかもしれない。
身の回りでも、「返事をしない人」というのの比率が増えているように思うが、そういう種類の人が該当しそうな気がする。
待合で名前を呼ばれても返事をしないだけでなく、こういう時にも返事をしないのかもしれない。
会話が噛み合わない原因の一つ
会話がかみ合わないこと
日記アプリについて
先日、日記アプリ Momento
にアップデートのリリースがあったが、長いこと更新されず、日記アプリは Day One
がメインな感じで使うようになっていた。
Day Oneが日記アプリとして素晴らしいのは、すでに各所で書かれているので、今更どこがどういいのかなど書くつもりもないが、Day OneはiOS版とMac版はあるものの、AndroidやWindows、Linuxでは使えない。
私は自宅にMacしかなく、Windows環境は実験的に使っている仮想化環境でしかなく、常時持ち歩くのはiPhoneとAndroidと言う状態なので、Android環境では使えないという不満があった。
それも Narrate
という互換アプリがあり、どうにかAndroidから使うことは出来ていたが、Day Oneで使うデータをDropboxで共有することの選択を強いられる。
Dropboxが悪いわけではないのだけど、iOS版やMac番のアプリやWebサービスの変化に対応するために、それぞれの変更点や互換性や制約といったものを気にかけねばならず、マイナーなトラブルでもいちいち気になるため、継続利用を諦めた。
Day OneはDropbox以外にiCloudを利用しての同期と、Day One Syncと言うのがある。
iCloudでのデータ同期は、そこそこ早い気がするものの、何かの都合で挙動が怪しいだけでなく、iOSとMacでしか使えない。
その点Dropboxだと、Narrate のような互換環境から利用可能なものの、やはりデータの同期の速度や使い勝手と言う面で今一つなため、Androidからの利用は諦めて、データが分散してもたかが知れているのだからと、Day OneのデータはDay One Syncで行うことにして、Androidでは Journey
を使うことにした。
Journey は、Android版とChrome版があるため、iOSはちょいと仲間はずれにはなるものの、閲覧程度ならばiOSからでも利用可能だ。
日々のちょっとした時に気づいたことや、思いついたことを日記の感覚で控えるのなら、多少分散しようが気にしない方が良いと割り切ることにした。
その分、折を見て自宅のMacなどからEvernoteやMacJournalに、それらのことを整理した方が遥かに良いと言うのが個人的な結論だ。
しばらくは、この方向で様子を見つつ続けてみよう。
アプリの通知に色々思う
スマートフォンのアプリって便利だし、通知があることによって忘れないというか行動のトリガーになっている面もある。
ただ色々とアプリを入れていくと、賑やかどころか騒がしく、必要な情報が埋もれてしまうというのもあって、どれを有効にしてどれを無効にするのかというのは、数が増えると段々煩わしいどころか麻痺してくる。
一ヶ月ちょい前にまっさらな状態から設定し直したこともあるけど、OSの設定だけでなく、アプリとして「この通知って価値あるの? どうなんだ?」って思うものもあり、たとえ便利なアプリであっても、通知の内容や頻度などによっては、付き合いを考えようか、消し去ろうかと思うものもある。
新機能の告知とか、バージョンアップの時だけで良いし、それって「詳しくはWebで」で良いんじゃないのかなぁ?
プッシュで配信で通知とかされると鬱陶しい、新しいテーマとか、新しいスタンプとか、新しい着せかえとか、どうでも良いんだよ!!
それに比べて、とある宅配業者のアプリの出来の良さ、通知の内容だけでなく通知からの行動までが非常に良くできているのには、感動した。
伝えるチカラ
今日職場で自分のチーム宛で、後輩にby Nameで依頼のメールを受け取ったが、内容を読んでサッパリ意味が分かりそうにないもので、ちょいと呆れてしまった。
勿論、掘り下げて考えて読み解けば、通じなくはないんだが、誤った理解を避けるという発想が感じられないことに驚く。
自分が受け取って伝える相手に伝わるのかどうか、それは受け取った側にしか分からないけど、そこへの配慮がまるでないが、メールのCCなどで伝えたい相手以外にも見えている状態で、それを眼にした人にどういう印象を受けるのか、そんな配慮も出来ないほどに切羽詰まっていたのだろうか?
そんなことを帰りの電車の中でボンヤリと思ってしまった。
自分もそんなことをしないように、言葉を投げ掛ける前に一呼吸振り返るようにしようと思った。