やってみなきゃわからないこと

実際に作ってみないと分からないものというのって、案外多いのかな
依頼を受けて作ってみたけど、なんだか想像してたものと違うってまで極端じゃあないし、途中で想定してなかったものに遭遇したりして、その都度再検討だったり、詳細を煮詰める必要に迫られることってあるけど、そもそも想定してないことの対応にかかるコストって、見積もりには含まれない。
それわどうするのかってのは当然考えなきゃならないけど、途中でこの先想定外で対応を考えなきゃならないのがどれほどあるのかなんて、どうやったらわかるんだろう?(_;)
そういう事態を織り込みながら、依頼って出すものなのかなぁ
場合によっては依頼を継続しないで、依頼そのものを取り下げて、なかったことになんてのもあるかも知れない。

職場で騒がしくするキッカケ

なんとなく、今日はその一端を知った気がした。
なんのことはない、問題が起きたり、想定外の対応が必要なことが発生して、当事者意識がない人を巻き込むための手段の一つ、課題や問題を共有すべき相手が不明瞭な歳にする手っ取り早い手段として有効だったりするからかも知れない。
ただ、こういう事を成功体験として味をしめてしまい、頻繁にやると周囲の人からは「騒がしいヤツが、またワアワア言ってる」位になってしまうから、使用上の注意が必要かな

年明け早々からちょいとトラブルがあって、事前の準備と確認が足りなかったと言うオチではあるんだけど、半日近く想定外の時間を取られた。
早出して残業とかは、あまりしたくないもんですねぇ(´;ω;`)ブワッ

依頼の方法

実現したい何かがあって、目的ではなく、方法を依頼する

 

そういうケースって多々あると思うけど、依頼人が思って、示した方法では実現できないか、場合によってはもっと良い方法がある時って、なかなかに悩ましい。

実現できないかことが分かっていて、代替案が見いだせていない時という場合は、なおさら厄介だったりする。

依頼の内容のその先にあるものを十分にわかってる場合とか、課題発見から解決まで一緒に考えて合意を取り付けられるなら、達成した時にその気持ちを共有もできるし、みんなが笑顔で居られる気がする。

現実はなかなかそうもいかないんだけど、なんでそうなんだろう?_)

 

会話の終端がわからないことがある

ただしくは、会話ではなくメールによる問い合わせと回答の終わりが、イマイチわからないケースがある。

もちろん、いつも分からないというわけではないし、どちらかというと多くの場合において、特段意識するまでもなく自然にできていると思っている。

直接顔を合わせての会話ならば、別の話題に移ったりしたタイミングで、一つの話の終わりがわかる。

当然、その認識もその場で共有されているから成り立つものだと思う。

 

これが電話だと表情が直接見えないので、声のトーンとわずかな「間」でしか捉えようがないが、メールだとさらに難しく、リアルタイムでさえ無い。

質問や問い合わせに対し、回答をしたところで、それで納得したのかどうか、依頼事項であれば対応が十分だったのかどうなのか、時々返事の無い人がいる。

そういう人に遭遇すると、戸惑うこともあるけど、どちらかというと面倒くさいので、できればあまり直接的なやり取りをしないでいたくなる。

 

ただ、なぜそういう人が存在するのか考えると、自分が気にならないというか、逆の立場で問い合わせや質問を受けたり、あるいは依頼を受ける側だったことがないということなのだろうか?

なんてことを考えたが、一般的に社会人になるまでの間に経験するはずなんだけど、経験してきているのにそうなってしまったと考える方が自然だと思う。

少なからず、「返事をしなさい」と言われる経験はしているはずなんだが、今は何らかの理由でそれをしないで済ませているのかもしれない。

 

身の回りでも、「返事をしない人」というのの比率が増えているように思うが、そういう種類の人が該当しそうな気がする。

待合で名前を呼ばれても返事をしないだけでなく、こういう時にも返事をしないのかもしれない。

会話が噛み合わない原因の一つ

会話が噛み合わない原因の一つ
先日から気になっていたことの一つ、会話が噛み合わないことの原因の一つについて、なんとなかおぼろげながら見えてきた。
話しかけたことへのリアクションとして、問いかけに素直に応えず、問いかけの意図を先読みして、結論を勝手に応えとして口にすることと言うのがある。
そうすると、発言する側は発言の意図と違うことを返された場合に「何を言ってるの?」ってなる気がする。

質問の場合だと特に顕著な結果があるが、質問の意図を読み違えると、ありのままでない回答が返されると、問いかけた側は「ポカーン」と(꒪⌓꒪ )になる。
だけど、あまりに露骨な場合を除いでは、質問を投げかけた側が質問の仕方を変えるため、ズレてる回答をした側は気付かないこともあり、場合によっては気付かないまま、やりとりを繰り返す。
で、結果として「ズレてる」ってことを実感するんじゃないだろうか?

これ以上のことは、まだ分からないけど、多くの場合、このパターンな気がしてきた。

会話がかみ合わないこと

コミュニケーションのギャップ
会話がかみ合わないことって誰しも経験したことはあると思う。
ないって人はどうやってそれが実現出来るのか知りたいところだ。
あるいは気付いていないだけなのかも知れない。

仮に気付いたとして、親しい間柄なら「違うよ」って言えるけど、そうでない場合は難しいよな
だけど、会話がかみ合わない事に気付くのって、何がきっかけなんだろう?
会話の流れから自分が予測していたものと違う場合なのだろうか?
そんなに単純な判定ではなんか足りない気がする。
会話は自分だけでなく相手があって成立するものだから、相手がかみ合わないと言うだけでなく、自分がかみ合ってないのかもしれない。
だから、相手のリアクションが想定と異なるだけでかみ合わないと言う判定にしてる訳ではないと思うけど、自分が発した言葉なのか、相手から受けた言葉かと言うことなのだろうか?
あれこれ考えてみても、納得できる答えが見出せない(_;)

日記アプリについて

先日、日記アプリ Momento

momentoapp.com

 にアップデートのリリースがあったが、長いこと更新されず、日記アプリは Day One

dayoneapp.com

 がメインな感じで使うようになっていた。

 

Day Oneが日記アプリとして素晴らしいのは、すでに各所で書かれているので、今更どこがどういいのかなど書くつもりもないが、Day OneiOS版とMac版はあるものの、AndroidWindowsLinuxでは使えない。

私は自宅にMacしかなく、Windows環境は実験的に使っている仮想化環境でしかなく、常時持ち歩くのはiPhoneAndroidと言う状態なので、Android環境では使えないという不満があった。

それも Narrate

narrateapp.com

 という互換アプリがあり、どうにかAndroidから使うことは出来ていたが、Day Oneで使うデータをDropboxで共有することの選択を強いられる。

Dropboxが悪いわけではないのだけど、iOS版やMac番のアプリやWebサービスの変化に対応するために、それぞれの変更点や互換性や制約といったものを気にかけねばならず、マイナーなトラブルでもいちいち気になるため、継続利用を諦めた。

Day OneはDropbox以外にiCloudを利用しての同期と、Day One Syncと言うのがある。

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iCloudでのデータ同期は、そこそこ早い気がするものの、何かの都合で挙動が怪しいだけでなく、iOSMacでしか使えない。

その点Dropboxだと、Narrate のような互換環境から利用可能なものの、やはりデータの同期の速度や使い勝手と言う面で今一つなため、Androidからの利用は諦めて、データが分散してもたかが知れているのだからと、Day OneのデータはDay One Syncで行うことにして、Androidでは Journey

2appstudio.com

 を使うことにした。

Journey は、Android版とChrome版があるため、iOSはちょいと仲間はずれにはなるものの、閲覧程度ならばiOSからでも利用可能だ。

 

日々のちょっとした時に気づいたことや、思いついたことを日記の感覚で控えるのなら、多少分散しようが気にしない方が良いと割り切ることにした。

その分、折を見て自宅のMacなどからEvernoteやMacJournalに、それらのことを整理した方が遥かに良いと言うのが個人的な結論だ。

しばらくは、この方向で様子を見つつ続けてみよう。