文化とそれを継ぐもの

考え方価値観の多様性は、認めたいし受け容れたいと思うけど、一方的に受け容れるだけというのはどうなんだろうかと、時々首を傾げる。
「あるべき姿」と言うか、合理的な考え方価値観で認められないものを、何故「面倒だから」と変化の是非について、ディスカッションのテーブルに上げないでいるのか、意味が分からない。
間に入って調整する立場にある者が、「面倒くさい」って言うのはどうなのだろう?
「ならば、おまえは何故そこにいるの?」と問えば、望んでそこにいる訳じゃないと言う風に返されそうな気がしないでもないが、その言葉を口にしちゃったらお終いだと思うし、それを言わせちゃぁいけないような気もして、なんだかモヤモヤとしてしまう。
集団と言うのは、個人の思考や価値観ではなく、同調圧力と言うか、和を乱すなと言う無言の圧力を感じる事が多いが、守る事で得るものと、破って得るもの、その辺を考えて継承なんてことはしてないんだろうなぁ
ならば、何故受け継がれていくのだろうか。